ギブミー語彙

文章力向上練習帖 兼 備忘録。

『魔性の子』『風の海 迷宮の岸』読み返し

『白銀の墟 玄の月』3・4巻発売を控え、1・2巻再読の儀!と思ったのだけど、まずはおさらいしたいなということで『魔性の子』と『風の海 迷宮の岸』

 

魔性の子

初読の感想を忘れた(&どのタイミングで読んだのかも不明)のがいたいけれど、白銀発売前に『黄昏の岸 暁の天』を読み返していたから、感じるところが多い。
先月、白銀を読んだときにはじめ泰麒の声をうまく成長系にできなかったのだけど(※本を黙読してても脳内で音声付きで読み進めるタイプ)、今回魔性の子を読んだことで、私の中にいた幼い泰麒を大人に成長させることができたので再読してよかった。
実際のところとして、泰麒という名で呼ばれていたのは蓬山にいたときのこととはいえ、神隠し帰りとして蓬莱で過ごしていた高里の方が、名前は違えど現在の、新刊段階での泰麒に限りなく近いから当たり前なんだよね。
祟りというか汕子たちの暴走がすごい読んでて痛いのだけど、本当に「暴走」だよね。とりわけ新しい庇護者ができたのだから、もう遠慮はいらないとばかりに家族たちを死に至らしめたことが一番つらい。
何も知らない人間と兵士をいっしょにはできないのだけど、見方をかえれば、これだけの強力な力を持っている汕子と傲濫が傍にいれば、阿選の口車にのせられていなければ、泰麒は角を喪うことはなかったのだろうなと感じるところもあり、やはり阿選許すまじの念が強い。
そして黄昏と魔性の子の表裏一体ぶりというか、それぞれの世界からみた同軸の話が描かれている事実にふれるにつけ、十二国記はこれまで陽子の物語と思ってきたけれど、泰麒の物語でもあったのだな... というか、図南の翼およびスピンオフを除けば、胎果の物語なので、白銀を読み終えたときに十二国記の全容をどう感じるかという意味でも新刊が待ち遠しい。


『風の海 迷宮の岸』

時間の都合により、泰麒が昇山の者たちと会うところからの再読。
黄昏の岸を読んでいたときに、驍宗様の周辺人物ってお供として出てきていたっけという確認をしたかったのが目的のひとつだったんだけど、結論としてお供の名前は載っていなかった。
だけど、幼き日の泰麒のまっすぐさがいとおしくて、それだけでも再読の価値はあった。それから魔性の子を読んだあとにこちらを読み返していたから、魔性の子での土下座拒否を思い返しながら、麒麟は王以外に平伏せない(偽りの誓約をできない)あたりを読めてよかった。
驍宗様がこわくてでも離れられなくてっていう泰麒の驍宗様への思いを再確認するにつけ、本当に白銀での泰麒の行動の意図がどこにあるのか。これは白銀の読み返しでもういっかい考えなおしたいところ。
ただ、以前から少し不思議なのが、泰麒の天真爛漫ぶりから高里要の無というかひどく静かな性質への変遷。記憶を失ったことによる喪失感に伴い、感情までどこぞかに落としてきてしまったのか。いわゆる「祟り」の事象により、心を閉ざしたという要素もなくはないとは思うのだけれども、もともと戻ってきた時点から変化していたのかなっていう気がするから、いかんとも言い難い。
ただ、それならば記憶とともに諸々の感情もわきおこっているわけで、でもそれでも現状を引き起こしてしまった自分へのふがいなさいたらなさはがゆさいろんなもので、想像をはるかにこえるレベルで心を傷めていると同時に、だからこそ何がなんでも現状を打破しなければいけないと必死なんだろうなとか考えると、本当に待て次号。