ギブミー語彙

文章力向上練習帖 兼 備忘録。

『白銀の墟 玄の月』初読

まずは、戴の皆さまにおかれましては、正当な王のご帰還ならびに明るい未来への予感にお慶び申し上げますという気持ちに満ち溢れて読み終えられたことに感無量。本当によかった。

3巻が麾下との再会とか、6年前に起きたことがつまびらかになっていくのとか、何より驍宗様のご無事とか、いろいろなことが良い方へ向かっているなって感じがして、嬉しくてわくわく読み進めていたかと思いきや、4巻の絶望のターンが無慈悲っぷりや、本当に戴は救われるのかというか、王と泰麒が双方無事でいてくれるエンドなのかという疑念を抱きながらの心理的負荷がかかりまくりな展開を経ての、驍宗様解放は本当になんていうか滾った。
一応ね、1巻で英章様はわたしのつぼと思って、いつ登場するかなあとわくわく読んでいたので、一向に出てこないままにエックスデーの到来して、きっと大どんでん返しに一躍かってくれるだろうなと思ってたら、まさに! で予感していたとはいえ、すごく嬉しかった。

ただ、そこに至るまでの泰麒の覚悟が、本当にもう。王の一番の僕。在るべき対の形でとてもとうとい。
途中で李斎が、泰麒は戴の民であって驍宗様の麾下ではないから、戴のことを思って驍宗様を切り捨てることもありえるかもしれないという話をしていたけど、そんなことないない。
3巻のはじめで、項梁と話していたときに、驍宗様が王であることに疑念をおぼえるなんて目からうろこでびっくりありえないということばを目にした瞬間、1・2巻読了時点での泰麒が何を考えているのかわからないの不安が払拭されてすごく安心して、泰麒から驍宗様への思いについては3・4巻では疑うことなく読み進められた。
あと、泰麒が転変できるまでに回復してたとか、まったく考えてなかったから、不意をつかれて驚いたけど、獣の姿で王に寄り添う姿とか、それを目にして驍宗様の正当性に疑うのは本当に謀反だし、あと想像するだに美しくて、小野主上様様。
泰麒の覚悟というか、自分の手を汚すののも致し方なし(そもそも使令に命じている時点で間接的には既に同義なのだから)とか布石が秀逸だし、正頼のところにいったときにはできなくて、項梁に覚悟をきめなくてはといわれたのを最後に果たして王を守り切る姿が果てしなくとうとい。
そして魔性の子を読み返しておいて本当によかったなあと思う。
最初は、自分の不在やふがいなさが招いた戴の民を救わなくてはの一心でなりふり構わず必死なのだなあという見方をしていたのだけど、そもそも泰麒が麒麟として国のために役に立てないのであれば、蓬莱での使令により傷つけ、あるいは損ねた相手や戻るための蝕の犠牲がまったく意味のないことになるからという意図までくみ取れてなくて、本当に泰麒の心情を考えるとしんどいがあふれて仕方がない。
「先生」のことにふれていたのもまた、あああとなったので、いつか驍宗様に泰麒が話をするんだろうな。驍宗様はどんなふうにきくんだろうなと思いをはせておく。

驍宗様は、まずは前回少し疑ってしまっていましたすみませんから。
ご存命なのに出てきてくださらない状況がまったくわからなくて、何かの謀略で姿を隠しているのでは説を少し持ち出していたけど、確かに深い深い出口のない穴の底ではどうにかこうにか生きながらえていただけでもすばらしいというか、気が狂ってないのも、やつれながらも動けるというか戦える身体を維持しつづけていたのが本当に尊敬崇拝そういった類の言葉しか出てこない。
そして騶虞が出現したことを奇跡と言えちゃうこととか、助けられるのではなく自ら脱出するのとか、驍宗様本当に驍宗様すごすぎてすごい。

阿選は少しは好意的な見方をしてあげられないものかと先月には思いましたが、真相がわかったあとではやはり無理だった。
嫉妬の渦にとらわれる気持ちも理解はできるけど、驍宗様が、蓬山で泰麒に「中日までご無事で」と言われたあとに、泰を去る決心をされていたくだりと比べ、ここが人としての格の違いなんだろうなと。そしてその下りで臣下には泰に残れという驍宗様の国を真実憂う心が本当にかけがえなくてまさしく王だなとここでも感じる。
まあ、驍宗様のその御心がばけものじみてるだけで、阿選の感情の方が人間らしいのだろうなとも思うのだけど、それよりなにより、阿選の元麾下たちがかわいそうだなと。
競い合っているころは、本当に崇拝に値するかけがえのない主公だっただろうから、それだけに変わってしまったこと、そこにいっしょに堕ちろとも言われなかったことがひどくつらい。
最後の良心あるいは意地で麾下に共に堕ちよと言えなかったことが、結果として終わりのない悪路へ進ませてしまったのだろうなと思うとあゝ無常。

今回の戴を救うのに不要な人なんていなかった。もちろんそれは大前提。
だけど、そうはいっても李斎以上の働きをした人はいないと思う。
「泰麒」という希望を戴に連れ帰り、最後の最後に他国の軍勢という、阿選の読みにはいっさいない飛び道具をもたらしたこと。これは決死の覚悟で李斎が慶に行ったからこそなしえたことで、戴に戻ってからのいろいろも含めて、李斎もまた偉業を遂げたのだと感無量。

延麒が飛びついてきたところで、麾下が誰も特別に李斎を褒め称えるシーンがなかったけれど(実際の会話ではもちろんあって、そこが出てないだけだと思うけど)、ああ、李斎よかった。本当によくがんばったなしとげたと改めて感じた。
驍宗様の処刑が近づくも八方塞がりで、それでも恥辱の中ではなく戦死させてあげたい、そのために駆けつけるのだという会話をしていたとき、李斎が忠義を貫きたいと思うのは霜元(ら以前からの麾下にとっては)噴飯ものかもしれないがと言ったときに、「李斎も驍宗様の麾下だろう。――早い遅いは関係ない」と霜元が返したところで、李斎に対して一番よかったねって感じたところだった。
何のどこを読んだときだったかな。王になってからの麾下である自分はそれ以前からの麾下とは扱いや驍宗様への思いを同じに語ってはいけないと、引け目みたいなものを李斎が感じてる印象があって、だからこそそんなことはない等しく驍宗様の麾下であると言葉で肯定されたことがすごく感慨深かった。
李斎自身の麾下との関係性がとてもとうとくてとうとくて。泓浩の「今度は一人では行かせない」とか、最後の光祐のみならずその背後の懐かしい兵卒との七年ぶりの再会とか、目からみずがあふれて仕方がなかった。

麾下との関係性といえば、驍宗様も! 1巻だったかで、自分の人柄ではなく結果に人がついてきてくれているのだと思い込んでるにぶちんさま。
もちろん結果を見て、近づいてきている人はいるでしょう。それでもその結果に至るまでの驍宗様のものの考えかたすなわち人物人柄に対して、この人についていきたいという麾下がどんどん増えていったのでしょう。
そうでなくては、これだけの人に探され、処刑にあたって名誉を守るために殉ずるもやむなしとその身を投げうつ覚悟を示す麾下がこれほどまでにあらわれるわけがないでしょう、と。
驍宗様と麾下との関係性でご飯何杯でも食べれます。めちゃうま。

今回の戴の苦渋は誰の所為かといえば、表面的には阿選なんだけど、実際のところ琅燦が妖魔を阿選に渡さ(あるいは知識を与え)なければ、ここまでひどくはなかったんじゃないかなという気がしてる。
阿選の嫉妬大爆発で対驍宗の構図にはどのみちなったかもしれないけど、でも妖魔を持ち出さなければある程度正々堂々(といっても姦計をめぐらすだろうけど、それでも人道の範囲内で)戦えば、烏衡みたいなけだものではなくきちんと信頼できる麾下を使っただろうから、ここまでいろんな意味でこじれなかっただろうと思う。
または麾下に話をしてれば、いっそ戴を出てしまいましょうの展開になったかもしれない。
そういう意味では琅燦がめちゃくちゃ悪いんだけど、阿選許すまじとは思っても琅燦許すまじの心境にならない不思議。この辺りは人によって分かれると思うんだけど、私は琅燦の所為だとは考えても、琅燦が憎いの境地には至らなかった。
天が本当に実在することを知った李斎が、なぜこの戴の窮状をお助けくださらないと憤りのようなものを訴えていたけど、でもそこは天だから仕方がないじゃないと思ったのと同じような感じなんだろうな。
摂理に対する好奇心で唆したんだろうと思ってるけど、人(正確には仙?)であっても、人の道理とは別の尺度で動いているものに対して、憤っても仕方がないというか、そんな境地で。
まあ、最終的として泰麒も琅燦は敵ではないと言ったし。もっとも味方でもなかったけども。

印象的なシーンも泣いたところも他にもいろいろあるんだけど、だいたい今書きたいのはこんなところかな。あ、でもやっぱりまだいくつか簡単に。

汕子と傲濫について、最後のところで使令が戻ったと書かれているくらいで今回ほぼほぼ登場していないんだけど、少し書きたい。
魔性の子や黄昏の岸暁の天を読んでいたときには、この二匹?(単位がわからない)がここまで暴走しなければ、泰麒がここまで傷つくこともなかったのにとすごいもやもやした思いを抱いていた。
でも、それでも泰麒を害するものから守り抜いた。その手段や穢瘁とか別の弊害をもたらした問題はあるけど、でも泰麒が生きていてくれたから今の戴はあるわけで、誰かがよくぞ守り抜いたと言ってくれたらいいなと思う。
まあ、戴の民にとっては泰麒が蓬莱ではかなくなって、新しい泰麒が生まれて王が選ばれる方が早く救われたのかもしれないけど、でもそんなかなしいことは言いたくないから。だから守ってくれてありがとう。
ただ、別問題としてやはり泰麒の使令が2では心許ないので、この先使令を増やすこともあるのかな。その場合はやはり一度蓬山に里帰りのうえになるのか、仕組みがあいまい。

飛燕の死は哀しくて、でも李斎を守りきったその姿が誇らしくて、とうとくてかなしい。
あの日の泰麒はもういないけど、でも飛燕と駆け寄る泰麒の姿をみることが叶わないのがかなしい。
李斎の次の騎獣はどうするのかな。狩りにいくのか、はたまた羅睺が下賜されることもあるかしらと思うけれど、どうだろう。
狩りにいくのであれば、新しく使令を下しにいく泰麒とともに蓬山に行ってほしいなと妄想しておく。

さて、今度こそ最後にもうひとつ? いやふたつだけ。
史書で、阿選を討ったあとに改まった暦が「明幟」なのは、言うまでもなく「墨幟」からとっているのだろうなと思うと胸熱。
そして今回のタイトル『白銀の墟 玄の月』は、最後の李斎と泰麒の会話の「雪深く雲多いこの国において(中略)台輔は光輝」とあるこの意なんだろうなと。光輝である黒麒からの玄の月。戴の物語ではあったけれど、それでもまさしく今作は泰麒の物語だった。お疲れさまでした泰麒。この先の未来に幸多からんことを願います。